息子の寝顔を見ながら
こんばんは。のんびりkouです。
今日は友人家族の訃報が入り「生きていくこと」「死んでいくこと」についていつもより強く感じ考えています。
少し話はずれますが、息子は胎児の時点で臓器にある疾患が見つかりました。そのことについては追い追い時間があるときにしっかり書こうと思うのですが、とにかくその疾患が見つかったのは台湾に引っ越して最初の検診だったため何が何だかわからず、その場を後にしたのですが大学病院でセカンドオピニオンを勧められたので後日、大学病院へ。
その時の担当医がやはり疾患があることと、私にだけ家族に遺伝子異常や障害がある人はいないかを聞いてきました。なぜ夫にも聞かなかったのか未だに疑問に思うのですが、それはさておき そんなこんなで 遺伝子異常がないか出生前診断をすることに。
その時のことも別に記述しようと思うのですが、とにかく当たり前に自分は健康な子供を産むと高を括っていたので まさか子供に問題があるとは本当にショックでした。不安で恐怖すら感じました。
そして、ちゃんと健康に産んであげられない、なんて駄目な母親だと自責の念に駆られましたし未だにそれはぬぐいきれません。
何一つ当たり前なんてないということを思い知った出来事でした。
ごくごく当たり前に与えられているから気付きもしない事柄がどれだけ恵まれたことか、そして、それが明日も同じようにあるとは限らないということ。
隣で寝ている我が子の体が、
隣で寝ているパートナーの体が
温かいというだけでどれだけ素晴らしく恵まれたことか。
そのを温もりを感じられる自分が
眠りにつき明日眼を覚ます保証のない中 目を開け新しい1日を始めることができる。
それがどれほど貴重なものか。
息子は出産前の心配をよそに元気に成長していますが臓器の疾患は変わらずあります。
目に見えない分 忘れやすいです。
座ってご飯を食べないとか、片付けたばかりの部屋を速攻で汚くしたとか、イヤリングを何処かへやってしまったとか
夫のジョークがデリカシーがないとか、決断力がないとか、余計な一言が多いとか
そんな目先のことに気を取られて根本大切な事を忘れてしまっています。
我が子の体が温かい。
大切な人の体が温かい。
それを感じられる自分がいる。
それだけで手を合わせなければいけないのです。
本当に忘れがち。
そして死は必ず誰にでも予告なく訪れるもの。
後悔をしない生き方、そして必ず来るものへの備えを
常に意識して日々を過ごしていかなければと思いました。
kou